
五月、島を包む白い花
5月中旬ごろ、檸檬の枝先に紫を帯びたつぼみが現れ、小さな白い花が開きます。爽やかさの奥に甘さを含む香りは、畑から斜面の道を辿って、家々へ。花の一部は小さな実へ変わり、秋から春の収穫へ向けて育ちます。短い時期にだけ出会える、島の初夏のしるしです。
KOUNE ISLAND
瀬戸内海の凪と、高根山の斜面が寄り添う高根島。スーパーやコンビニ、信号機が一つもない、周囲約10.8kmの小さな島です。穏やかな光、包むような潮風、水はけのよい土、それらの自然の恩恵を受けて営まれる柑橘栽培。風景と生業がひと続きになっている島の暮らしの様子を辿ってみてください。


窓の向こうには、檸檬の木々。 葉に光が当たり、風が抜ける。 その奥には、凪いだ瀬戸内海の水面。光を受けた波紋が、静かにゆれている。 耳をすませば、島に住まう人々の暮らしの音がかすかに届く。 畑へ向かう気配、軽トラックの通る音、遠くで誰かが交わす声。 観光地の賑わいではなく、ここで今日も暮らしが続いていることを知らせてくれる、ささやかな音色。
橋を渡って島へ入ると、家々と畑が道沿いに点在し、暮らしの風景がゆるやかに続いていきます。 高根島には、信号も、コンビニも、スーパーもありません。 人口は約400人。島を一周しても約10kmほどの、小さな有人島です。 この島には、瀬戸内の穏やかな海から心地よい潮風が届き、水はけのよい斜面には、あたたかな光が差し込みます。 そんな風土に寄り添うように柑橘畑がひらかれ、そのすぐそばで、人々の暮らしが営まれてきました。 都市のような便利さや速さに覆い尽くされることなく、島の時間は、季節や人の営みに寄り添いながら流れています。 建物も、畑も、海も、人の営みも、別々のものではなく、柔らかく穏やかな空気の中でつながっている。 高根島では、風景のなかに暮らしがあり、暮らしのなかに風土が息づいています。
忙しい日々のなかで見えにくくなる季節の移ろいや、暮らしを取り巻く小さな変化も、ここではすぐそばにある。風の手触りや光の移ろい、誰かの手仕事に目を向けるうちに、自分が本当は大切にしたかった感覚が、少しずつ輪郭を取り戻していきます。 高根の暮らしを辿るうちに、いつしか、自分へ還っていく。 そんな豊かな時間が、この島にはあります。
NATURE
高根島は、穏やかな瀬戸内海と標高322mの高根山を抱く、面積約5.6km²の島です。中国山地と四国山地に守られた温暖で雨の少ない気候、水分が抜けやすい斜面の土、海から返る光が、柑橘の生育を支えてきました。海へひらく斜面の畑、地域を結ぶ細い道、そのすぐそばにある海。天候を読み、畑に出る時間を決め、旬の実りを食卓へ運ぶ。自然の変化が、一日の仕事と暮らしの歩調まで形づくっています。

5月中旬ごろ、檸檬の枝先に紫を帯びたつぼみが現れ、小さな白い花が開きます。爽やかさの奥に甘さを含む香りは、畑から斜面の道を辿って、家々へ。花の一部は小さな実へ変わり、秋から春の収穫へ向けて育ちます。短い時期にだけ出会える、島の初夏のしるしです。

高根山の中腹から海辺へ、斜面の形に沿って段々に続く柑橘畑。温暖で雨が少ない気候、水分が抜けやすい土、海から返る光を受け、みかんや檸檬が育ちます。畑の向こうに海が見える眺めは、木々の間を歩き、世代を超えて手を入れてきた生業そのものの風景です。

本土と四国によって風や波から守られる瀬戸内海は、とても穏やかです。一方で潮の流れは複雑で、月の引力によって一日に二回ずつ満潮と干潮を迎え、潮の流れる向きも一日に四回変化します。島や細い海峡にぶつかるたびに方向や速さが変わるため、同じ高根島でも浜ごとに海の表情は異なります。

しまなみ海道に多くの橋が架かる以前、島の人にとって海は暮らしと自然に一体化した存在でした。対岸まで泳いだ思い出、夜の海で海ホタルと遊んだ話、暇ができれば釣竿を垂らす時間。海は移動の道であり、遊び場であり、日々の恵みを受け取る場所でもありました。50年ほど前には、高根と瀬戸田を結ぶ渡船に人だけでなく自動車や馬、羊の料金まで設けられていたといいます。

かつて「高根みかん」といえば、最高級のみかんを表す名前でした。銀座の高級果物店や関東・関西の百貨店などでも高値で取引され、ブランド品として確かな地位を築いていました。農協の合併や出荷体制の広域化に伴い、その名は市場から姿を消しましたが、この島が持つ柑橘栽培の力は今も変わっていません。収穫したみかんは船で三原へ運ばれ、そこから都市部へ届けられていました。
FOUR SEASONS
春の白い花、夏の濃い海、秋のグリーンレモン、冬の黄色い実り。季節がひとつ進むたび、畑で行う手入れも、収穫する柑橘も、食卓の味も、窓から差し込む光も、聞こえてくる音色も変わります。その小さな変化に目を向けることで、高根島で過ごす時間はより味わい深いものとなります。
春告鳥(はるつげどり)と呼ばれるウグイスをはじめ、たくさんの鳥のさえずりに島中が包まれます。新緑のあいだでは蝶やカマキリの幼虫など小さな生きものも動き始め、土や木々、虫や鳥が互いにつながりながら畑の生命を支えます。海ではキスの季節も始まります。

強い日差しとセミの合唱に包まれる夏。暑くなれば海で身体を冷やせるのも島ならではです。雑草も勢いを増しますが、当宿の畑では無農薬・低肥料で育てているため、日差しを和らげ、土の水分を保つ役割も考えながら、刈りすぎずに残しています。

虫の気配が少しずつ落ち着き、屋外で過ごしやすくなる秋。冷めにくく温まりにくい海にはまだ夏のぬくもりが残り、風の心地よさとともに島を歩いたり、海辺で立ち止まったりする時間が増えていきます。

農家さんにとって冬は、収穫と出荷が続く繁忙期です。レモンやみかんなど、収穫期が少しずつ異なる多くの品種を育てる農家さんは、畑と選果、出荷を行き来しながら大忙し。黄色く色づく実りの風景の向こうに、人の手が絶えず動く季節があります。

LIFE ON KOUNE ISLAND
畑を見回り、天候と木の状態を読みながら枝を整え、実りを一つずつ収穫する。採れたものを分け合い、海の様子を確かめ、高根大橋を渡って生口島と行き来する。高根島の日常は、自然に合わせて身体を動かす営みと、顔の見える距離の助け合いで成り立っています。その暮らしの延長に身を置き、島のリズムを自分の感覚で確かめる、そんな滞在もまた高根島ならではの過ごし方です。
朝の光と天候を読み、葉の色や実の重さを確かめ、枝へ手を入れる。柑橘づくりは同じ作業の繰り返しではなく、花のつきかた、雨の量、暑さ、果実の色づきに応じて判断を重ねる自然との対話です。その選択が、季節の終わりに実りとなります。

高根大橋の向こうには、生口島の町があります。1970年に柑橘を運ぶ農道橋として開通して以来、買い物や通学、仕事、人との行き来を支える生活の道になりました。島の静けさと外のつながりを結ぶ、高根島の日常です。

島で育った野菜や柑橘、瀬戸内の魚。誰が育て、どこで採れたかが見える食卓には、土地の季節が並びます。実りを分け合い、旬の香りを料理へ移す。farm and bed SETODAの食事も、島の暮らしと訪れる人を結ぶ場でありたいと考えています。

船の音、潮の満ち引き、風の向き、雲の流れ。高根島にとって海は、眺めるだけの景勝ではありません。畑へ向かう道から海が見え、窓を開ければ潮を含んだ風が届く。天候や仕事の段取りも、海の様子を見ながら考える。そんなふうに海の変化を感じながら暮らすことが、島の日常の一部になっています。

KOUNE ISLAND BY THE NUMBERS
450人ほどが暮らす、小さな島。顔を合わせれば挨拶を交わし、畑や海の話が自然に行き交う距離の中で、柑橘とともにある日常が続いています。
海と山の距離が近く、斜面の柑橘畑、家々が集まる地区、海辺の道がひと続きに感じられる大きさです。
海沿いの道を中心に巡る、おおよその目安です。島内にはアップダウンや細い道もあるため、畑や海の景色に立ち止まりながら、急がず走るのがおすすめです。
島内に信号はありません。交差点でも互いの動きを確かめて道を譲り合う、島らしい穏やかな速度が暮らしの中にあります。
24時間営業のコンビニは島内にありません。必要なものをあらかじめ整えておくことも、便利さから少し離れて過ごす準備のひとつです。
日常の買い物は、高根大橋を渡った生口島側へ。島では畑の実りを分け合い、季節のものを食卓へ生かす暮らしも受け継がれています。
陸路で島外へ続くのは、生口島と結ばれた高根大橋だけ。人、生活用品、収穫した柑橘が行き交う、島の暮らしを支える一本の道です。
柑橘を運ぶ農道橋として開通。船を中心とした往来から車で渡れる日常へ変わり、通学や買い物、仕事の動線を大きく広げました。
高根大橋を渡った生口島側のスーパーまで、車でおよそ10分。島の静けさを保ちながら、日々に必要な買い物へ手が届く距離です。
海岸線に沿って一周すると、柑橘畑、点在する家々、橋、海辺の風景が次々と現れます。海と山に挟まれた高根島の輪郭を、移動しながら実感できる長さです。
島の中央に立つ高根山の標高。海から立ち上がる斜面には、陽射しと水はけを生かした柑橘畑が段々に広がっています。
地元農園が紹介する、島内のみかん農家のおよその数。多くの家が柑橘に関わる仕事を重ね、畑の風景と島の生業を支えてきました。
明治27年5月15日、島の北端・押崎鼻に設置。島々の間を多くの船が行き交う瀬戸内海で、航路の安全を見守ってきました。海上保安庁が選定する「日本の灯台50選」に選ばれた、歴史的な石造り灯台です。
白い花が枝先に開き、爽やかさの奥に甘さを含む香りが畑から家々へ。果実になる前の短い時期にだけ出会える、高根島の初夏のしるしです。
「露地栽培」とは、ハウスではなく屋外の畑で自然の気候のもと育てる栽培方法です。10〜12月は香りの鮮烈なグリーンレモン、1〜5月は果汁をたたえたイエローレモン。同じ木の実りが、季節とともに色と味わいを変えます。
HISTORY OF KOUNE ISLAND

明治27年(1894年)、島の北端・押崎鼻に高根島灯台が設置されました。島と島の間隔が狭く、多くの船が行き交う瀬戸内海では、灯台の灯りが航路の安全を支える大切な目印です。高根島灯台は、海上保安庁が選定する「日本の灯台50選」に選ばれた、歴史的な石造り灯台です。

瀬戸田では大正末から昭和初期にレモン栽培が広がり、1927年には増産への取り組みが進みました。温暖で雨が少なく、水はけのよい斜面はレモンと相性のよい土地。みかんとともに柑橘を育てる畑が島々へ広がり、仕事と暮らしが織り重なった現在の景観の土台になりました。

1964年のレモン輸入自由化によって外国産が流通し、国産レモンの産地は転換を迫られました。さらに1976年と1981年の大寒波が木々へ深刻な被害を与え、生産量は大きく減少。それでも栽培を絶やさず、土地に合う育て方と、安心して使える国産レモンの価値を伝える模索が続きました。

柑橘を運ぶ農道橋として、高根大橋が生口島との間に開通しました。船による行き来から、車で渡れる日常へ。収穫物の出荷に加え、通学、買い物、通院、人との往来を支える生活の道となり、島と外の距離を変えました。みかん色の橋は今も、高根島の入口を示す親しみ深い風景です。

大寒波の翌年、瀬戸田では島を挙げたレモン増殖運動が始まり、産地を立て直す歩みが進みました。香りや味だけでなく、育てる人と土地が見える価値も見直され、瀬戸田のレモンは再び知られる存在へ。高根島では今も木々に向き合う手仕事が続き、柑橘とともにある風景が次代へ手渡されています。